たまたまYouTubeでこんな動画を見つけまして、興味深く拝見させて頂きました。
この動画に、占いに20~30年間で3000万円を使ったという、元占い依存症の女性が登場します。この女性が占い依存症のことを「自分がない病気」という言葉で表現していまして、これが、私もすごく分かるな~~~~~~~、、、と、思ったので、今回はこのことについて、ブログに書いてみようと思います。(ちなみに、占いのことをどうこう言うつもりの記事ではありません。私自身占いも好きですし、何事も使い方次第だと思っています。)
私は占いではなく、別の方向に暴走しておりましたが(どんな方向かはまたの機会に)、「元自分がない病患者」であると自負しております。自分がない、自分がどうしたいのか分からない、何が欲しいのかも分からない、人に意見を求められても、何も浮かばないので、『誰かがこう言ってた』ということしか言えない。常にまったく自信なく、自分の所在がないような、不安定な感じなんですよね。今思い出しても、本当に気持ちの悪い感覚です。
なぜ自分の気持ちが分からなかったり、自信がないかというと、考えられる理由の一つに、「自分の気持ちは二の次で、常に外側の世界(親、彼氏、友達、学校、職場 etc)からどう思われれているか、どう評価されているか。」に意識、価値観を置いていることにあります。自分の気持ちを言葉で誰かに表現するという経験も少なく、そのため自分の気持ちが分からない、知らないと感じても当然と言えば当然かもしれません。
どういう訳で、そのようになったかは人それぞれだと思います。私の場合は、4人兄弟の長女で、子どもの頃から弟たちの面倒を見たり、家のことを任されておりました。私の記憶では、私の気持ちを気にかけて、気持ちを引き出してくれる大人は、私の周りに一人もおりませんでした。逆に私は、弟が泣かないようになど、いつも誰かの気持ちを気にかけながら成長しました。私が「自分がない病患者」になったのは、こんな育った環境も影響していたかなと思います。
自分の気持ちというのは、言語化して、声に出して誰かに伝えたり、文字に書いたりして、何でもいいですが引き出していかないと、出にくくなるように感じます。だからと言って、自分の気持ちがまったくなくなるわけではなく、しっかりと潜在意識にはエネルギーとしてあるわけです。本当はあるのに、気づいていない状態だからこそ、「自分がない」という感覚はモヤモヤして苦しいものなのだと思います。
ちなみに、身体感覚は潜在意識の入口と言われています。例えば「自分がない」という思いを持った時、身体に意識を向けると、きっと何らかの身体感覚があると思います。胸がズシっとする感じや、頭がボーっとする感じ、もしくは「何も感じない」という感覚など。そういった、まだ言葉にならない意味のある感覚を、フォーカシングでは『フェルトセンス』と呼びます。フェルトセンスに、問いかけたり、言葉をかけてあげると、意外な自分の思いを引き出すことができます。
そこには、自分のことが分からないままでいることによって、自分の何かを守っていたり、メリットがあることもあります。例えば、自己評価が極端に低い場合、惨めな自分を感じることに、恐れがあるかもしれません。恐れのエネルギーが、自分の心を知ることにフタをしているわけです。もちろん、惨めな自分というのも、真実ではないのですが、いつの間にかそんな風に信じ込んでいたりするのです。そんなとき、先述のフォーカシングや、EFT/MRなどの身体感覚を用いた心理セラピーを用いて、感情のエネルギーを解放しながら、潜在意識に眠っている思いを引き出して行くことで、より深く安心安全に自分とつながることができます。感情のエネルギーが解放されると、思いも自然とシフトして行きます。
フォーカシング、EFT/MRのいいところは、アドバイスなどによってポジティブに考えを変えさせようとするのでなく、感情・感覚・思考に寄り添いながら、経絡をタッピングし、無理なくエネルギーの流れを生み出すことで、自然にポジティブな状態、またはフラットな状態に変化が起こると言うことにあります。そして、セッションを受けたり学ぶことでセルフワークとしても道具なしに一生モノのスキルとして使えるということも嬉しい所です。
↓は、私が以前書いたEFT/MR実践記です。よかったら読んでくださいね♪
コメント