10月のOAD・問いかけ講座、、、からのヨガ・スートラ

10月のOADセラピスト養成講座は問いかけの講座でした。

私達は、「ありのままの事実」を見ているのではなく、「心象風景(投影)」を見ていて、そっちの方がその人にとって、ものすごくリアルなのです・・・という話がありました。

そういえば、ヨガTTで、ヨガの先生が「わたしたちの中には心を映し出すスクリーンがあるんですよ。」というような話をしていたような記憶を思い出しました。(ちょっとうろ覚えですが。)私はそのとき、『なんだろう、それ?』とものすごく興味が湧き、頭の中に長方形のスクリーンをイメージしてみたり、あれこれ試してみたような思い出があります。しかし、そのときはピンと来ませんでした。もしかして、あの時先生はOADで言うところの心象風景のことを言いたかったのかもしれないと、およそ5年越しにそんなことを思いました。

久しぶりに、ヨガTTのことを思い出し、ヨガスートラをパラパラとめくってみました。今読むと、以前よりも意味がスーっと入ってくる感じがあります。やっぱり、悟りのメッセージはぶれることがないですね。それが、安心するんですよね、、、。以前読んだ、インテグラル・ヨーガも、その当時は難しいなと感じていましたが、「これは悟り、非二元のメッセージだ。」と読んでいて、分かる部分がありちょっと嬉しいです。少しご紹介しますね。

3 そのとき、見る者【自己】は、それ本来の状態にとどまる。

あなたはまぎれもないかの<見る者>である。あなたは身体でもなく、心でもない。あなたは<知る者>、すなわち<見る者>である。あなたはいつも、自分の心と身体が眼前で行為しているのを見る。あなたは、心が、思考を、識別を、そして欲望を生み出すことを知っている。見る者はそれを知っているが、それに巻き込まれることがない。

インテグラル・ヨーガ P28より

これは、あゆかさんがいつも言っている”気付きの意識”のことだと思います。気付きの意識は、自我に巻き込まれることは決してないんですね。

ここでヨガを学んでいた当時、ひとつ、勘違いしてたのが「あなたは身体でもなく、心でもない」の部分。これは、自分の身体や心を「これは私ではないんだ!」と、切り離すような感覚で私は受け止めていたのですが、切り離すこととは、まったく違うんですよね。もちろん、この本でもそういうことを言っているのではないと思います。これは私の当時の勘違いです。

もう少し分かりやすくなるように、もう一つご紹介しますね。

ヨーガとはマインドの止滅だ

そのとき、鑑賞者は本来の姿に定まる。
マインドが止滅すると、鑑賞者は本来の姿に落ち着く。
マインドに同化することなく、判断せず、賞賛も非難もせず、選択をせず、ただ観ていられるなら――あなたはただ観ている、マインドは流れている。――やがて自然に、ひとりでに、マインドが止まる時が訪れる。
ノーマインドであるとき、あなたは鑑賞の状態に落ち着く。そのときあなたは鑑照者になる――「観る人」に。そのとき、あなたは行為する者でも、思考する者でもない。そのとき、あなたはただ存在しており、純粋な存在、もっとも純粋な存在だ。そのとき、鑑照者は本来の姿に落ち着く。

魂のヨーガ OSHO P42

「マインドに同化することなく、判断せず、賞賛も非難もせず、選択をせず、ただ観ていられるなら」。切り離すのでもなく、「いい」「悪い」等のジャッジをするのでもなく、「ただ観る」「あるがままを気付いている」ということです。

もう一つ、私が勘違いしていたことをご紹介します。「ヨーガとはマインドの止滅」で、思考や感情を止めようと感じないように、超抑圧していたんですよね。上に記載した「切り離す」も、結局は抑圧なんですよね。これは、全くやってることが逆でしたね~。ヨガをしながら、マインドを抑圧することは、ブレーキとアクセルを一緒に踏んでいるようなものだったと思うので、実際その当時、けっこう苦しかったですね。

ヨーガとはマインドの止滅だ

マインドが死滅したとき、あなたは鑑賞する自己の中に定まっている。その他の状態では、同化している。そのすべての同化が、サンサーラすなわち世間をつくり上げている。同化しているなら、あなたは世間の中、苦しみの中にある。同化を超越するなら、あなたは解き放たれ、達人(シッダ)となる。あなたは涅槃(ニルヴァーナ)にいる。あなたはこの苦しみの世界を超越し、至福の世界へと入る。
その世界は、いまここにある――たったいま、まさにこの瞬間に!一瞬すら待つ必要はない。マインドの鑑賞者になれば、あなたは入っている。マインドに同化したら、あなたは取り逃がす。これが基本的な定義だ。

魂のヨーガ OSHO P44

「ヨーガとはマインドの止滅」だとありますが、ではどうしたらマインドが止滅するのか、そのための方法を記しているのがヨガスートラであります。かなり長々と、この文章の後ろに続いていきますよ。今こうして、ヨガスートラを読んでみると、面白いですね。いろいろな角度から学ぶことは、いいことだなと思います。

少しずつ時間をかけていろいろと理解が深まってきていることに気付くとうれしいですね~。ヨガTT、受けて良かったな~と、なんだかしみじみと思い返しています。

 

 

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